最近では、高齢者が老人ホームに入居した際などに、延命治療に関する意思確認や事前指示書といった書類の提出を求められることが増えてきました。しかし、いくら事前に本人の意思を事前に確認して準備をしていたとしても、いざ最後の時と知り面会に来た親戚の一言で全てが覆ってしまうことが非常に多く、後々の介護者家族を苦しめることも珍しくありません。
老人ホーム側で用意された意思確認書(事前確認書)があっても、たとえ家族代表のキーパーソン含めケアマネージャーと周到に準備をしていても、いざその時が来ると「とりあえず救急車で病院へ…」という親族が現れ、「とりあえず胃瘻をつければ、また入居受け入れてくれる施設もあるし…」という意見も沸いてでてきたり「他の親族に恨み言を言われるかもしれないから、とりあえず人工呼吸器をつけた方がいいかな…」などと、ズルズルと本人の意思とはかけ離れた状況になっていくのです。
その〝とりあえず〟という判断は、介護者家族の複雑な思いの現われかと存じます。
でも、その〝とりあえず〟の判断は、誰のための判断なのか?と考えた時、大抵の場合、脳裏を横切るのは遠い親族や生活を共にしていない家族の顔でしょう。
本人の意思確認ができない場合に至っては、よくある話かと思います。
死を受け入れることが自然の流れであると頭では理解していても、誰も看取った経験もない親族ほど口を挟み、実際には生活を共にしてこなかった家族ほど自身の感情論を押し付けたりしてきたりすることも少なくありません。
今回は、本人との意思疎通が図れない状態の方で、ご本人がお元気だった頃にこぼした言葉をくみ取り、延命治療を望んでいなかった方にどのような準備をしてあげられるかを考ます。あわせて、見落としがちな注意点なども記したいと思います。
いくら事前に家族で話し合うように言われても、実際その話をするタイミングを見計らうのは難しい。また、いざという時、本人は意思表示はできない状態であることの方が圧倒的に多いのです。
末期がんの終末期、交通事故など救急に運ばれた時。また、認知症で意思疎通が図れない状況などでは本人の言葉はころころと変わり、話の運び方次第では誘導的な会話になってしまい、聞く人によって違う言葉が返ってくるようなこともあります。
ここでは、ご本人が健在だったころの様子から、本人の生活を見守ってきた1番身近な家族が本人に代わり、何ができるかを考えたいと思います。
例えば、親戚を見舞った際、人工呼吸器に繋がった状態をみた時の反応が芳しくなかったり、ご本人の気持ちを拾えるのは1番に身近にいたご家族です。そんなに寂しく苦痛な想いまでして長い病院生活を送っても意味がない…という考えであっても、残された家族の複雑な感情から、上記のとおり本人の意思とはかけ離た最期を迎えることもあります。
参考にした著作はこちら。
医師である高山義浩先生が経験されたことを参考にさせて頂きました。介護・看取り医療のみならず、地域医療連携や次世代の医師教育など多岐に渡り記されています。様々な地域で経験をまれたということもあり、日本だけでなく海外での話も織り交ぜつつ、日本の医療システムの現状を考えさせられる奥深い1冊です。
医療関係者の方にはもちろんのこと全ての介護関連従事者にも読んで頂きたいですし、医療に全くにに知識がなくとも、日本に住まい保険医療制度の恩恵をうけている多くの方々にもおすすめです。医学的な知識など必要なく読むことができますし、誰がいつその当事者・当事者家族になるかも分かりません。
医療系ドラマに毒された視聴者や、超高齢社会に制度を改新ようと動いている役人の方々も現実を知ってからにしろ、と言いたい。
決して、無関係な人などいない内容となっています。
蘇生処置拒否指示〔DNR指示〕Do Not Resuscitation Order、また最近ではDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)とも言うようにもなりました。場合によっては、No CPR(心配蘇生拒否)指示などとも言います。
1番身近な家族が主導となって、このような同意書を作成し遠縁の親戚とも会話を交わしておくことがなにより。老人ホームで記入を求められる同意書(事前指示書)などは、形式的に必要な書類の1つに過ぎず、他の家族の与り知らぬところで交わされるものです。時として、施設管理者でさえその意味も理解していないこともあります。
繰り返しになりますが、単なる形式的なものだと心得ておいてください。
このような同意書(事前指示書)では、見舞った親類の目に触れることなどあまりないですし、当然、従事者側から改めて説明されることはありません。問題は、ご本人とご家族代表(キーパーソン)しか認識していない点にあるのではないでしょうか。
中途半端に医療の心得のある家族がいたりすると、自分の得意な専門分野に置き換えて説法しないと気が済まない人も多くいます。親戚は医者だから分かってくれるだろう、という期待など持たない方がいいでしょう。
例え医師であっても、家族を看取ったことや、2~3回程度大人のオムツを替えたことしかないような人であれば、どのような苦労があるかなど想像できるものではありません。いざ自身の家族に置き換えると、理想論や感情論が溢れだしてしまい、キーパーソンを追い詰めてしまいます。
ここに、著書にあった「心肺蘇生術を行わないことに関する同意書」を参考にした写真を貼ります。
※出版社著作権管理機構に問い合わせたところ、本書の添付写真を参考に「同意書」を個人で利用しても差し支えないと承諾を得ました。念のため、 参照した著作物と著者、該当ページを添えるようアドバイスを頂きました。
私個人(ブログ主)も、この同意書を活用させて頂き、〝心肺停止時の対応について周知がしたい〟という高山先生の意思にも沿えるように、自宅や短期入所施設、一時的に入院していた病院などに貼らせて頂きました。
多くの人の目に触れるようにすることが、患者本人のためにも、家族のためにもなると感じます。
日付、患者氏名、家族署名、医師署名の●●●●●(黒丸)は、最低限必要な事項です。○○○○○(白抜きの丸)は適宜、状況に合わせて取り入れてみてください。
家族代表以外の○○○ は、同居家族と直系の血縁者の承諾を頂くことができれば、より良いかと。「なんで救急車を呼ぶとかしなかったんだ!!飯も食えないのに放って置くなんて!!」と騒ぎ立てるのは遠縁の親類であることが多く、健在な中に会うことが叶わなかった後悔の念をキーパーソンや家族にぶつけてくることがあります。
誰の目にも留まる場所に、親族の同意を得た上でのことであることが分かるような書面があれば、必要以上に家族を追い詰めることはしないでしょう。
納得がいかないようであれば、ケアマネージャーや看護師、医師など第三者を介して説明をしてもらいましょう。
複数の医師署名○○○ は、担当医の上司にも承諾頂きたい場合、複数の科にまたがっている場合どなど。担当医1名だけの署名であっても情報は共有されますが、担当医が説明した患者ご本人の病状については病院としての見解であることと、その担当医が不在の場合であっても患者ご本人の意思を尊重してもらえるよう周知できます。
日頃のように激務な担当医のためにも、ご本人や家族のためにもなります。
※推認:すでにわかっている事柄などをもとに推して量り、事実はこうであろうと認定すること。
ここで使われている、「推認」という言葉に奥深い家族の想いと歴史を感じます。本人に代わって、家族が残す同意書としての言葉にこれ以上のものは無いように思いました。
この同意書はコピーとったりするなどし、病院や医師の指示のもと保管してもらいましょう。カルテに挟むもの、部屋の見える箇所に貼るもの、ケアマネージャ…などなど。
施設側の形式的な事前指示書だけでなく、ご家族主導で話し合い用意することに意義があると感じます。同意書には、法律上フォーマットのようなものはありませんが、非常に参考になる内容だったので活用させて頂きました。
蘇生処置拒否の対象は、一般的に心臓への電気ショックや挿管での人工呼吸器などが当たります。
脱水症状が診られえる場合は点滴をしたり、痰の吸引や酸素吸入など、痛みや苦痛・不快感など和らげる治療(緩和ケア)は施されます。極力苦痛を取り除くためのケアが行われ、ご本人の意思に寄り添った最期を迎えられるように出来うる限りのことをすることも医療の一環です。
積極的な治療だけが医療という訳ではありません。
ついでに、日本の緩和ケアにおいて議論が別れている点にも追記しておきます。
飲食物を自らの口で摂取できなくなった時や誤嚥性肺炎の場合です。点滴だけでは栄養が補えない状態となった際、判断が必要となるのは①そのまま、②経鼻経管栄養(鼻の穴にチューブを通し、胃へ栄養を入れる)、③胃ろうの造設(手術)です。
③の胃ろうは日本独特の文化であって、これは「緩和ケアには当たらない」としている国もあります。また、本人の意思確認ができない状態で造設しても、患者本人や家族の負担が増えるのみという意見さえあります。
軽微経管栄養に比べ、管理しやすいメリットがあるというのも〝胃ろう〟という選択肢が広まった理由だと考えられます。しかし、寝たきりや認知症末期で意思確認が難しいケースが多くを占めていることを問題視する声も多くあります。
一時的に②経鼻経管栄養を施し、自力での経口摂取を目指す方もいます。感染症の対策に管理が必要ですが、不必要に身体を傷つける(造設手術)必要はないと考える人は②を選択します。感染症対策など管理が必要なため、②の場合その後受け入れてくれる施設が限られてしましまうのがデメリットです。
より制限を受けづらい③胃ろうを選ぶことで患者の意思の寄り添うことになるのかどうか、これが「緩和ケア」に該当するかどうかは、自身や家族での判断となります。
患者ご本人が、病院で最期を迎えるには絶対に嫌だ…と考えて在宅を選択した場合は、しっかり事前にケアマネージャーを始め、在宅医(定期的に往診などに来ていただいている医師)、訪問看護の方などと話を詰めておくことが大切になります。
在宅医療診療所には、医師だけでなく看護師や薬剤師などもいるので、一緒にサポートしようと動いてくれます。(応じてくれない診療所は変更も検討しましょう。)
例えば、遠い親戚が急に口を出してきた際、〝緩和ケア〟の意義や方針を説明に来てくれたりすることで、何もせず放置している訳ではないと医療従事者の口から説明してくれることで納得してくれますし、ケアプランをコーディネートしてくれているケアマネージャなど、第三者が立ち会うことで冷静に客観的に状況を把握することができます。
必ず、関る方に事前に情報を共有しておくようにしましょう。
※相談はいくらでも可能ですが、全てを従事者に委ねるはやめましょう。
あくまでも、ケアマネージャー(場合によってはソーシャルワーカー)は、ご本人と家族の意見を元にケアプランを練ったり内容を取捨選択してくれる方です。複雑で専門的なことが分かりづらい状況で、ご本人や家族に代わって計画を立ててくれる専門的なコンシェルジュのようなもの。何も意見を持ち合わせず、丸投げしてよい相手ではありません。
また、ケアマネージャーも1人の人間です。そこには必ず相性がありますし、不得意な分野もあります。ご本人と意気投合しても、患者ご本人のご機嫌取りに徹するような方はあまり頼りになりません。最期はケアマネと家族のやり取りが主体になってきますので、患者のご機嫌とりだけ得意な方だと感じた場合、ケアマネ変更も視野に入れ検討してもよいと考えます。
在宅医療の場合は特に、常に意識すべきなのが『最期のその時』です。病院や施設であったとしても、この問題は付いて回ることですが、それが在宅医療とのなれば殊に慎重に考えてしまうのは当然のことだと思います。
ここで、よく聞く話も併記しておきましょう。
患者ご本人が健在な頃、「絶対に病院での最期なんて嫌だ!!」と主張されていた場合、救急隊員を呼ぶ前に、必ず〝担当医を呼ぶように〟覚えておきましょう。
担当医の判断で、自宅で対処・治療できる感染症なのか、不可逆的な老化による変調なのか、判断してもらいます。自宅でも抗菌薬などの投与は可能です。
逆に、救急隊員を呼んでも彼らは医師ではなく、そして彼らに判断する権限がないのが正直なところです。知識もあり、経験も豊富な方々ではありますが、彼らの仕事はどこの病院に、いかにして搬送し、迅速な治療につなげるか、です。いつか来たる日を想定し、「なにかあれば、すぐに連絡ください」とフォローしてくれる在宅医・診療所が大切です。
一方で、最終的に在宅医との相談の末、救急搬送する結果になることもあります。〝もしも搬送中に心肺停止したら、蘇生を希望しますか?〟と聞かれることがありますので、落ち着いて対応してください。
そのまま、自宅で医師や看護師そしてケアマネに見守られつつ、家族のいる自宅で息を引き取るという選択肢もあります。
いずれにしても、終末期の看取りは備えに備えていたとしても、完璧に行くことは非常に難しい。少しでも、後悔の残らないよう、よくあるパニックと判断の分かれ目になる事例として押さえておいてください。
目を離したら、朝起きたら、寝ていると思ったら…。〝最期のその時〟は急に前触れなくやってきます。その時、パニックになり『119番あるいは110番通報』をしてしまう方もいるようです。それも、よくある話です。
ご家族がケアマネージャーに連絡をしても、かけつけたケアマネすらパニックで同じ行動をとる可能性のあるようです。
救急隊員は、生存者の救命をすることが第一の任務になります。例えば、119番通報で救急隊員が到着したとき、もしも患者ご本人が心停止した状態であれば原則搬送できません。搬送するには、心臓マッサージをしつつ(無理やり心臓を動かす状態に近い)でなければならないこともあります。
この患者さんが蘇生処置拒否をされていた場合、心停止状態が確認されたときに真っ先に連絡すべきなのは主治医です。
また、110番通報をしてしまうと、長々と事情を聴かれることがあります。警察の仕事としては当然のことです。通報があった以上、事件性がないことを確認できなければなりません。駆けつけた警察官も、頭では理解していたことだとしても最低限確認しなければならないことがあります。
家族の死を哀しむ時間は後回しになる可能性さえあります。
患者ご本人の体調を定期的に診てフォローしてもらっている主治医に連絡するように、再度改めて確認しておきましょう。
ご自宅で、家族に見守られ、静かに最期の時を迎えるには、医師など診療所の方々やケアマネとの信頼関係にかかっていると言っても過言ではありません。
終末期患者の最期について家族で話し合うための参考になれば幸いです。
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医療の関しての知識がなくとも、難しい専門的な内容ではなく、誰にでも読める書籍となっています。
日本に住まい、年を重ねていく人であれば、ご一読頂く価値のある分野の内容です。
上記でご紹介した、高山先生の「地域医療と暮らしのゆくえ: 超高齢社会をともに生きる」も含め、いづれ自身の身に降りかかる問題として考える機会になればと思います。