介護, 医療, 老後, 豊かに老いる

誤嚥性肺炎|食事を食べたがる患者~「とりあえず禁食」から看取り問題としても考える~

誤嚥性肺炎という診断をされると、まず治療方針として示されるのは「絶食」でした。以前は、昔からの慣習のようなものが引き継がれてきた部分が多くありますが、ここ数年で考え方が大きく変わりつつあります。

まだ、昔からの治療方針に固執してしまい、絶食療法が絶対!として頑なに閉ざしてしまう医療者や、病院方針として責任や業務の煩雑化という課題など複雑な問題も絡むため、大きく変わることは難しいかと思われます。

ただし、禁食期間が短ければ短い程その後の予後が良い(回復の見込みが高い)という認識は、その経験から誰しも感じている部分でもあるんです。(だた、経験の少ないこと、自信のないことは、積極的に方針を劇的に変えるということは難しいですよね。人の命に係わる問題なので…)

高齢化が進み、ここ最近で看取りの話もよく取り上げられるようになってきており、とくに高齢肺炎は避けては通れないものなので議論も活発です。 “誤嚥性肺炎|食事を食べたがる患者~「とりあえず禁食」から看取り問題としても考える~” の続きを読む

介護, 医療, 心身ともに健康に, 豊かに老いる

延命治療|心肺蘇生術が行われないよう拒否する同意書

最近では、高齢者が老人ホームに入居した際などに、延命治療に関する意思確認や事前指示書といった書類の提出を求められることが増えてきました。しかし、いくら事前に本人の意思を事前に確認して準備をしていたとしても、いざ最後の時と知り面会に来た親戚の一言で全てが覆ってしまうことが非常に多く、後々の介護者家族を苦しめることも珍しくありません。

老人ホーム側で用意された意思確認書(事前確認書)があっても、たとえ家族代表のキーパーソン含めケアマネージャーと周到に準備をしていても、いざその時が来ると「とりあえず救急車で病院へ…」という親族が現れ、「とりあえず胃瘻をつければ、また入居受け入れてくれる施設もあるし…」という意見も沸いてでてきたり「他の親族に恨み言を言われるかもしれないから、とりあえず人工呼吸器をつけた方がいいかな…」などと、ズルズルと本人の意思とはかけ離れた状況になっていくのです。

その〝とりあえず〟という判断は、介護者家族の複雑な思いの現われかと存じます。

でも、その〝とりあえず〟の判断は、誰のための判断なのか?と考えた時、大抵の場合、脳裏を横切るのは遠い親族や生活を共にしていない家族の顔でしょう。 “延命治療|心肺蘇生術が行われないよう拒否する同意書” の続きを読む

終活は何度でもやり直せる, 老後, 豊かに老いる

長寿祝い年を節目に最後の年賀状にしました|終活|年賀状|賀寿

どんなタイミングで年賀状を最後にしようか…なんて、最近よく耳にしますので、

我が家の話を少しご紹介致します。

まず、

おめでたい新年の、年に1度の年賀状で、病気や高齢などの文言に触れることは、決して認めたくない祖父。

新年を祝うおめでたい正月に、負を連想させるようなことは避けるべきだ!!…という強い意思がありました。

そこで、

彼の賀寿祝いを節目にしようと声をかけてみました。 “長寿祝い年を節目に最後の年賀状にしました|終活|年賀状|賀寿” の続きを読む

終活は何度でもやり直せる, 老後, 豊かに老いる

高齢のため最後の年賀状とさせていただきます|終活|介護|病気

最近メディアでも「終活」「エンディング」…等をテーマとした特集を見ることが多くなって参りました。
私の祖父も、歳を重ねるごとに年々、年賀状を送る体力と気力に波が出てくるようになりました。

そして、

ここ4〜5年は、体調の良い時だけ年賀状を送っている状況です。

年賀状に対する世代間ギャップ

そもそも年賀状とは、新年のご挨拶に会いに行けない遠方の方に、その代わりとして送る書面です。

そして年に1度、相手のことに想いを馳せ、お互いに感謝の意を伝えあう、昔からの習慣なのです。

 

きっと年賀状のやりとりを何十年もの長い間続いている仲間もいることでしょう。

例えば、学校を卒業した後も、定年退職した後も、何十年も続けてきたのだろうと思います。

言わば、大切にしてきた当人の歴史といっても過言ではないのです。 “高齢のため最後の年賀状とさせていただきます|終活|介護|病気” の続きを読む