最近メディアでも「終活」「エンディング」…等をテーマとした特集を見ることが多くなって参りました。
私の祖父も、歳を重ねるごとに年々、年賀状を送る体力と気力に波が出てくるようになりました。
そして、
ここ4〜5年は、体調の良い時だけ年賀状を送っている状況です。
年賀状に対する世代間ギャップ
そもそも年賀状とは、新年のご挨拶に会いに行けない遠方の方に、その代わりとして送る書面です。
そして年に1度、相手のことに想いを馳せ、お互いに感謝の意を伝えあう、昔からの習慣なのです。
きっと年賀状のやりとりを何十年もの長い間続いている仲間もいることでしょう。
例えば、学校を卒業した後も、定年退職した後も、何十年も続けてきたのだろうと思います。
言わば、大切にしてきた当人の歴史といっても過言ではないのです。
私は祖父母世代と一緒に暮らし、毎年のように何百枚も年賀状が届く姿を見てきました。
1枚1枚、丁寧に感慨深げに見入る姿が印象に残っています。
時には、お相手に電話も入れたり、近況を語り合うのが恒例となっていた旧友もいたようです。
そんな姿を見ていた立場からすると、
「何十年も会っていない人に、もう年賀状なんて送らなくていいんじゃない?そろそろ終わりにしようよ」…とは、軽々しく言えませんよね。
さらに私の祖父は、非常に頑なな性格で、
「会えないからこそ、年頭の挨拶くらいはしないと相手に失礼だ!」と。怒…
皆さんの周りにもいませんか?
歳を取ると丸くなるどころか、子世代に何かアドバイスをされようもんなら拒否体勢に入る方。
〝老いては子に従え〟とはよく言ったものですが、誰しも安安と己れの老いを認めたくはなく、
しかし一方で、
年々自由が利かなくなる年の頃合いを感じ、口惜しく思っているのはご本人なのです。
あくまでも、
終活としての年賀状は絶対ではなですし、次第にフェードアウトしていくものだと思います。
いずれにせよ、
ご本人が、どのような仲間と年賀状のやりとりを通して交流があったのか、家族でコミュニケーションをとっておくことの方が、何より大切だと思います。
寒中見舞い・余寒見舞いで返事をすればよい
祖父が年末にかけ体調を崩してしまった時、
寒中見舞いとして、年賀状の返事を書いていました。
気力体力が伴わなかったのが1番の理由でありますが、本人いわく、
「おめでたい新年のご挨拶に、病気とか、入院とか、高齢とか、怪我だとか…負を連想させる言葉は使いたくない。相手に失礼だ!」…との言い分。
頑固で負けず嫌いな方には、
年賀状の代用として
「今回は、年賀状頂いた方に寒中見舞いでお返事を出したらどう?
ゆっくり時間をかけて、丁寧に近況報告できるよ。
年末年始は皆さん忙しいから、落ち着いた頃に手紙くると嬉しいよね。」…
なんて。
ポジティブな言葉を選び、あくまでも相手方にも礼は欠いてないことを強調してあげると、納得してくれるかもしれません。
〝今回だけは仕方ない〟と思わせ、
来年また書けば良いという気になれば、本人の自尊心を傷つけずに済むと思います。
寒中見舞い:三ヶ日明けてすぐ葉書を頂いたこともありますが、松ノ内(1月7日)明けてから節分までの時期にだします
余寒見舞い:節分が明け、翌の立春から寒さが続くまでの時期にだします
1〜2ヶ月の時間をかけて、ゆっくりお返事の用意ができますね。
体調に応じて調節しながら用意できるので、
翌年以降も同じように寒中見舞いにて対応できれば、本人にとっても見守る家族にとっても少し安心できます。
そして次第に、届く年賀状の数も減ってきます。
お互いに老いを察し、また、あえて最後の言葉など無くとも喪中ハガキで別れを知る事もあります。
それが道理でしょう。
賀寿を節目に年賀状を最後にする
めでたい新年に、年1度の年賀状で、
病気や高齢などの文言に触れることは、決して認めたくない祖父でした。
新年を祝うおめでたい正月に、負を連想させるようなことは避けるべきだ!!…という強い意思がありましたので、
彼の賀寿祝いを節目にするよう提案してみました。
新年を祝う日に、長寿祝いを節目とし、完全隠居宣言をしよう!という提案です。
これには彼も全面同意。
最終チェックをし、本人より合格がでた年賀状がこちらです。
※1:実年齢が分かるように、生まれた年も記載いたしました
また、紀寿が正式だとするところもありますが、相手に一目で100歳と分かるよう『百寿』と致しました
※2:本来であれば『温かい』とするところですが、人の温もりと、迎春を祝う季節柄にて『暖かい』とすることで、お相手に〝日の当たる年になるように〟との願いも込めたようです
※3:気の利いた一言か、あるいは、名前は自書で書けたら良いですね
本人は非常に気に入ったようで、「賀正に賀寿にて最後の挨拶ができた!!」と喜んでいるようでした。
たしかに、
「新年も長寿もおめでとうございます」という旨の返信を何通か頂きました。
今年限りの挨拶としつつも、お相手に「おめでとう」と言わせる、エンディングとして立派だなと感心しました。
では、
参考までに、次の文面↓↓をお使いくださいませ。
文章をコピーしてお使い頂けます。
尚、大正生まれの方はなかなかいらっしゃらないと思いますので、『昭和』でご用意していたします。
昭和◯年生、◯◯を迎えることができました。
ひとえに皆様の温かいご支援のおかげと、心より御礼申し上げます。
この節目の年に誠に勝手ながら、年頭のご挨拶を今年限りとさせて頂くことに致しました。
来年も、その先もずっと、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げております。
年賀状に電話番号を書いておくと、ご挨拶にお電話頂くことが度々あります。
携帯番号や、メールアドレスを記載しておくと、別の形でお返事を頂けるかもしれませんね。
余談ですが、
もともとPCに入っていた年賀状ソフトを使い、コンビニのマルチコピー機ですぐ作成することができます。
ご高齢の場合、もしもの時が急にやってくる事もありますが、
今時はコンビニで即日、葉書プリントもできるので、
急に年賀状を書く気分になった時でもすぐ用意でき、便利になりました。
また、
新年の干支に合わせて新しい絵柄データを購入しなくても、
年賀状シーズンの入ると、
郵便局に年賀状用スタンプやインクがたくさん置いてあります。
1人でも多くの人に年賀状を手軽に書いてもらえるよう、郵便局の方々の配慮でしょうね。
長寿祝いの年は適当!! めでたいものは、めでたい!!
長寿祝いの年を期に…としましたが、
本来は数え年で祝う慣習のところ、我が祖父の場合は満年齢での記載です。
今時は数え年で年齢を表さないので、満年齢の年になって気づくことも多いですよね。
大丈夫。
お祝い事は遅れても、そして、何度やっても嬉しいものです。
私の祖母は、
86歳のときから米寿だと言い、
88歳の誕生日にも米寿で喜び、
89歳の卒寿の年にも「去年は米寿で今年は卒寿だ」と嬉しそうに話し、
90歳になっても同じことを言っておりました。
また、それ以降もずっと、
「もう卒寿で、そろそろ白寿なんだ」と申しております。
つまり、
可愛い祖母だから、何度でもお祝いするよ…ということです。
年賀状に一筆書くとすれば、
〝新年あけて、本年◯◯(賀寿)です〟としても良いですし、
〝昨年中に、◯◯(賀寿)を迎えました〟と翌年の年賀状に報告する形でも良いと思います。
また、年に明けて早々に〝来年は◯◯(賀寿)を迎えます〟としても別に違和感は感じません。
結構な頻度で、『賀正に賀寿で最後のご挨拶』が可能です。
2019年版の長寿祝い年表をつくりました。
毎度、見方が分からず混乱してしまうので、少々整理致します。
※4:還暦は生まれた干支と、同じ干支の年に祝いたいですよね。なので、満60歳になる年に祝うと考えればより自然でしょう。
還暦の方を挙げて考えると、1958年(昭和33)生まれの方は皆、2018年の誕生日を迎えると60歳となります。
つまり、1958年(昭和33)生まれの方は皆、2019年を迎えると全員が満60歳で、
中には満60歳11ヵ月の方も、満60歳0ヵ月の方もいらっしゃるということです。
しかし、古稀・喜寿・傘寿など以降の賀寿に関しては、数え年にてお祝いするのが昔の風習だといわれております。
喜寿祝いの方を例にとり考えてみますと、
1943年(昭和18)生まれの方は、年が明け2019年になったら満75歳の方であったとしても数え77歳になると計算します。誕生日で満年齢76歳を迎える方々のことですね。
今時の70代はとてもお若く元気でいらっしゃるので、数え年で祝うと、余計に歳をとってしまったように感じ嫌がる方多いと聞きます。
お祝いとは言え、
ご本人が「長寿祝いをされる程、まだ年老いてなんていないわ…」と思ってる場合、無理にしなくても良いとは思います。
ちなみに我が家では、孫の進級祝いなどを理由にして一緒にお祝いいたします。
そして、ちゃんちゃんこは用意しません。
長寿を盛大に祝うと良くない!?
親戚を集めて盛大に長寿祝いをすると、
本人が張り切り過ぎてしまい、その後体調を崩してしまう…という話も良く耳にします。
また卒寿などでは、白のちゃんちゃんこを祝い色としていますが、その白が死装束を連想させる…という方も中にはいます。
ご本人の感じ方、体調に寄り添い、心から祝って差し上げたいですね。
最近では、各色のちゃんちゃんこ用意している旅館やホテルもあります。家族で食事に行き、その場でご本人に着てみたいか確認してもよいですね。
我が家の祖母は富士山がとても好きで、賀寿の事は別として富士山の望める温泉旅行に誘いました。
そちらの女将さんに良くしてもらい、自然な会話の流れで年齢を聞いて下さり、お祝いして頂きました。
その時女将さんから、ちゃんちゃんこの用意しましょうか?と、さりげなく。
本人は、「恥ずかしいし、ちゃんちゃんこ着なくても満足だ。」といい、お祝いに頂いた記念ケーキを嬉しそうに食べていたのを良く覚えています。